2022年


ーーーー11/1−−−−  地下室の片付け


 
我が家には地下室がある。と言っても半地下だから、反対側のドアを開ければ屋外へ出られる。

 この地下室、30年あまりの間に、ひどい状態になっていた。まるでゴミ屋敷である。様々な物体が無造作に詰め込まれて、立ち入ることがためらわれるくらい、グチャグチャに散らかっていた。このおぞましい状況を、長い年月、見て見ぬふりをして過ごしてきたが、この夏にある事情があって、片付けをすることが決まった。

 とは言いながら、決まったことを実行に移したのは、10月も終わりに近づいた先週になってからである。ようやく行動に移したわけだが、私は象嵌物語の注文製作というマストの仕事があるので、とりあえず二日間だけ、片付けの作業をすることにした。けりが付かなければ、また別途日を改めてということである。

 片付けと言っても、9割がたは不要物の廃棄である。テレビ、ラジカセ、ワープロ、炊飯器、ポット、電熱ヒーター、冷凍庫などの電気品、石油ストーブ、食器、人形ケース、棚板、何セットものスキー板、何故あるのか不明な襖、障子の戸、その他大小様々なガラクタ類。そして一番多いのが書籍や紙類。その大半は子供たちが使っていた教科書、参考書、ノートなどである。 

 紙類は、まとめて縛って、軽トラに積んでショッピングセンターへ運び、資源物回収のコーナーで処分する。重量を計り、僅かだがポイントが貰える。その他の廃棄物は、車で10分ほどの所にある、廃棄物業者の処理施設へ持ち込む。

 その施設は、金属でも、プラスチックでも、ガラスでも木でも、何でも受け入れてくれる。例外は、生ゴミ、液体、危険物くらいである。まず入り口で、軽トラに積んだまま計量台に乗せて、重さを計る。それから建屋の中の指定された場所に入って車を停めると、作業員が2、3人で手際よく廃棄物を降ろす。手際よくと言っても、とても荒っぽい。コンクリートの床に、投げつけるようにぶちまける。スキー板などはまだしも、ラジカセや石油ストーブが床に叩き付けられてぶっ壊れる様は、見ていて痛々しかった。降ろし終わったらまた軽トラを計量台に乗せ、差分の重量に応じて料金を支払う。テレビや冷凍庫は、リサイクル費用や、フロン抜き取り料金を取られて、結構な金額になった。

 二日間で、廃棄物処理施設へは3往復、紙類は1回持って行った。まだ片付け半ばだが、室内は見違えるほど綺麗になった。床が広く露出しているのを見て、嬉しくなった。事前は、それほどひどい状態だったのである。




ーーー11/8−−−  酔っ払いのていたらく


 
一人暮らしの友人S氏宅へ、泊りがけで遊びに行った。二人で地元のスーパーへ行き、食材や飲料の買い出しをした。夕食のメニューは「ほうとう鍋」。

 だいぶ前に、数名の仲間で経ヶ岳に登り、山頂付近でテントを張って、S氏が調理したほうとう鍋を食べたことがある。それを思い出して、今回リクエストしたわけだが、S氏は、ほうとう鍋など滅多に作ったことが無いから、作り方を覚えてないと言う。それを聞いていささか驚いたが、氏はやってみようと、引き受けてくれた。まず、スーパーで麺が入手できるかどうかが不安だったが、あった。具材の方はスマホで調べながら、買い揃えた。レシピでは野菜しか入れないことになっていたが、肉も入れた方が良かろうということになり、豚のバラ肉を買った。

 3時ころから宴会を始め、だいぶ酔いが進み、夕暮れが迫る頃、氏がほうとう鍋を作ってくれた。酔った勢いもあって、二人してガツガツと食べた。

 翌朝台所に立ったS氏が、「昨晩の鍋は、肉が入ってなかったな」と言った。私は、「そんなことは無い、肉はスーパーで買ったじゃないか。しっかり食べたよ」と答えた。氏が酔って出来事を忘れたのだと思った。するとS氏は、「肉は、スーパーで買ったパックのまま、ここにあるよ」と言った。つまり、鍋に入れるのを忘れたのだと。

 肉を入れるのを忘れた料理人、入っていない肉を食べたつもりになっている客人。いずれも酔っ払いの、ひどいていたらくである。

 「あれっ、おかしいなぁ、肉も食べたつもりでいたのだが」と言うと、「それならそれで良いじゃないか」とS氏は応えた。そして、こういうことは酔わなくても日常的にあることだ、と付け加えた。

 朝、お茶を入れて飲む。後になって、急須を洗おうとしたら、茶葉が入っていない。ただの白湯を、お茶だと思い込んで飲んでいたという話。

 私も、急須に茶葉を入れ忘れて湯を注ぐことはあるが、茶碗に入った液体の色で分かるものだ、と言ったら、自分の湯呑みは中が黒っぽいので、色は分からないのだと。「それでも口に入れれば、味や匂いで分かるべえ」、と言ったら、「なんとなくおかしいとは思ったのだが・・・」と、S氏はつぶやいた。






ーーー11/15−−− 本人からの訃報


 
友人からメールが届いた。内容は、共通の友人であるN氏の訃報であった。メールに添付されていた画像は、書状をカメラで撮ったものだったが、なんと訃報はN氏本人からのものだった。

 ーーー

(前略) 私Nは、去る2022年10月18日膵臓ガンで死去しました(享年74)。私の固い遺志により、通夜、葬式、戒名、位牌、墓は一切無用で済ませました。世間では「人生百年時代到来」との言辞が喧しい様ですが、御先に失礼します。 (後略)

 ーーー

 文面は活字で打たれており、最後に自署してある。宛先はプリントラベルに印刷されたものが張ってあり、消印は10月22日。

 N氏は京大法学部卒業の秀才で、英語とフランス語が堪能だった。私が会社員時代、初めて海外出張をしたとき、氏はルクセンブルグ事務所に勤めていた。訪ねて行ったら笑顔で迎えてくれて、昼食を共にした。レストランの店先の、街路樹の下のテーブルで、食事をしながらワインを飲んだ。しばらくすると、氏は気持ちよさそうに居眠りをはじめた。私が氏と親しく接したのは、それが最初であった。

 氏は登山が好きで、会社の山岳部で何度か山行を共にした。真っ先に思い出されるのは、三俣山荘テント場火災事件があった山行だが、氏はその時のリーダーだった。氏には何ら落ち度は無かったが、事後処理に追われて大変な苦労をおかけした。

 さて、この訃報だが、死期が迫ったのを感じて、あらかじめ氏が文面を準備したのだと思われる。それに死亡の日時を書き込んで印刷をしたのは、氏に頼まれた親戚か友人だろう。印刷した便箋には、前もってしかるべき位置に自署をしておいたに違いない。何とも手の込んだことである。宛先は、氏が指定した住所リストに従って、ラベルに印刷したのだろう。そのリストに名前が無かったので、私の所には来なかったのだと想像する。氏とは親しく付き合っていたし、手紙をやり取りしたことも過去にはあったが、その後私が年賀状を廃止したこともあって、音信不通になっていた。

 氏は社会派の反骨の人だった。世間に迎合することを嫌い、変わり者、異端と見做されるような少数弱者に心を寄せる姿勢を貫いた。晩年は、市民相手の法律相談のボランティアなどもやっていたようである。それと同時に、山を愛し、文化芸術全般に通じたロマンチストでもあり、またユーモアのセンスも豊かだった。

 天に召されたN氏の魂に、とこしえの安らぎがありますように、お祈りします。




ーーー11/22−−−  重い登山靴


 
10月の末に燕岳に登った。この時期になると、装備をどうするか悩むところである。

 本格的な雪山シーズンのさ中なら、それなりの覚悟で準備をするから、ある意味で問題は無い。一方、雪山シーズン直前やシーズンの終わりころは、状況に合わせて簡略化した装備で望むことを考える。その方が行動がラクだからである。しかし天候が急変すれば、冬山と同じような状況になる。信じられないように過酷な状況に遭遇すると、軽い装備ではピンチである。

 この時期は、積雪が無く、天気が良ければ、防寒着は用意するとして、脚ごしらえは夏山と同じで問題無い。しかし降雪直後で雪が残っていたり、寒気が厳しくなっている場合は、それなりの配慮が必要である。いったん融けかかった雪が寒気で硬く凍り、さして急でもない斜面で怖い思いをすることもある。

 今回は、稜線部に雪があることを懸念して、学生時代に購入した革製の重い登山靴を履くことにした。堅牢な作りで底も硬いから、雪面の登下降に有利だと判断したからである。その代わり、アイゼンは省略した。私は軽アイゼンなるものを持っていない。所有しているのは、学生時代に購入した、12本爪のアイゼンのみである。こんな大袈裟な代物を、この時期に装備として持参するのは、さすがに躊躇する。

 余談だが、私がこのアイゼン(サレワの出歯12本爪)を入手したのは、この手の製品が世に出回りはじめた頃だった。それまでは、鍛造のアイゼンが主流だった。ごつくて重い鍛造アイゼンと比べて、サレワのプレスアイゼンは軽く華奢で、見た目にはなんだか頼りないくらいの印象だった。出歯(でっぱ)とは、つま先から前方へ突き出した二本の刃のことで、垂直に近い氷壁などを登攀するのに有利とされた。その一方、歩行中に反対側の足に引っ掛ける危険が高いとの指摘もされていた。要するに、高度な目的のために開発された特別な道具、というイメージだったのである。それが、現代では普通の登山者でも、この手のアイゼンを所有し、使っている。アイゼンの使い方を良く知らないのでは?、と感じるような人も、靴に付けて歩いている。時代は変わったものである。

 話を戻すが、今回使う事にした登山靴は、片方で1.4Kgの重さがある。ちなみに、当地で数年前に購入した、合繊と合皮のスリーシーズン用の靴は0.8Kgである。これまでは、このごつい登山靴を使って、その重さを辛く感じたことは無かった。しかし今回の登山では、その重量の差が決定的であることを、思い知らされた。登山の中盤から、足の疲れがひどくなった。下山する頃には、足の筋が痛くなり、びっこを引くようになった。

 登山靴は、上げ下げだけの運動ではない。足の置き場を求めて、靴を前後左右に動かし、また回転させる必要がある。そのような足の動き全般に関して、重い登山靴は負荷が大きく、疲労を招く。運動の法則から示される通り、質量の大きな物は、動かすのに大きな力を必要とするからである。普段自転車トレーニングで脚力を鍛えているつもりでも、それは一部の筋肉でしかない。様々な足の動きを支える筋肉全体を、鍛えてはいないのである。

 失意の山行から戻り、ちょっとネットで調べてみたら、登山靴の重さに関していろいろな記事があった。中でも興味を引いたのは、靴の重さの違いは、その5倍の重さを背負っているのと同じ疲労を与えるという記事であった。靴の重さが1Kg多ければ、5Kg余計に荷を背負っていることに等しいと言うのである。これが数値的に的を得ているかどうかは分からないが、今回の体験からして、実感としてうなずける部分もある。登山靴の宣伝に、ことさら重量の軽さをアピールしているものが多いのも、それなりの理由があることだと思われた。

 山で重い靴を使うなら、事前にその靴を履いて山道を歩くトレーニングをしなければ、本番への備えにならない。真剣な登山家は、普段から町中で重い登山靴を履くと言う。困難な状況の高峰に登るには、重い登山靴を使わざるをえないからである。その話を聞いた時、そこまでやる必要があるのかと、疑心暗鬼であったが、今回の体験で納得できた。




ーーー11/29−−−  Dデイ


 
私は、家族相手に話をする際に、「Dデイ」という言葉を時々使う。何かの計画の実施日が決まると「よーし、Dデイは〇月〇日に決まった」。予定していた出来事が翌日に迫ると「いよいよ明日はDデイだ」、と言った感じ。

 こんな言葉を使うようになったのは、一つのエピソードからである。

 会社員時代に、米国のメーカーである会議をもった。出席したのは、そのメーカー、客先であるインドの会社、そして私が所属していたエンジニアリング会社のそれぞれ担当者と責任者。我が社からはプロジェクト・マネージャーも参加した。

 議題は、メーカーに発注した製品の納期について。当初予定した納期がズルズル遅れ、問題となったのだ。発注したのはガスタービン。ガスパイプラインの昇圧ステーションで使うコンプレッサーの駆動用と、発電機の駆動用で、2000Kwクラスのガスタービンが合計30台ほど。金額にすれば十数億円の案件だったか。これだけの数であれば、大きな案件と思うところだが、メーカーは少しも真面目でない。米軍からヘリコプター用とか艦船用に、この何倍もの注文がしょっちゅう入るからである。そのような注文が入ると、我々のぶんなど、どんどん後回しになるのであった。

 インドの国家事業ともいうべきパイプラインの仕事である。メーカーに遅れの責任を追及し、ハッパをかけるために持たれた会議だった。脅したりすかしたりの応酬を繰り返した挙句、ようやく新たな納期が設定され、三者の合意に至った。その席で、我が社のプロマネが大声を発し、「よーし、納期は決まった。〇月〇日がDデイだぞ、Dデイ!」と言った。

 するとインド人のマネージャーが 「What is D-day ?」 と言った。プロマネは、「えっ、あんた知らんの?」と言った表情で、「D-day for Normandy ! 」と返した。

 深刻な局面に於いて、冗談めいて使われた「Dデイ」が、今でも私の脳裏に残っているのである。